〈此岸花〉試し読み

 夏のうだうだと去り渋る九月、駅へと向かう大人たちとは反対にカラフルな子どもたちの朝も始まる。ランドセルに結びつけた巾着は歩を進める度に跳ね、あちらこちらで弾けた声が響いている。新学期に対し子どもたちがどのような心持ちでいるのかは知らない。夏休みの間には会うことの出来なかった友人たちとの語らいを楽しみに登校する子もいれば、未だ終わらない宿題を抱え途方にくれている子もいるだろう。しかし智紀の内心はそのどちらとも異なった。
 鍵っ子の智紀に兄弟姉妹はなく、親も日の暮れるまで帰ってはこない。夏休みの間も親の休暇に合わせて一週間ほど関西の祖父母を訪ね、また別の日に隣県の祖父母を訪ねた他には何も変わったことがなかった。
 小学生の定時は早く、日が傾いて暫くすると直ぐに下校時間がやってくる。智紀は二つ目の分かれ道、六つ目の分かれ道でそれぞれ家の方角の異なる友人と別れ、じゃあねまた明日と腕を振る。そうして一人で歩いていた黒いランドセルを見咎めたのは、坂道の中ほどでお喋りに興じていた隣家の噂好きな夫人であった。